• HOME
  • NEWS
  • MIGHTY CROWN TV Vol.30 ASSASSIN aka Agent Sascoをアップしました!インタビュー全文書き起こしも同時掲載!

2016 / 05 / 30 (Mon)

MIGHTY CROWN TV Vol.30 ASSASSIN aka Agent Sascoをアップしました!インタビュー全文書き起こしも同時掲載!

assasin.jpg

SAMI-T自ら各国のアーティストへインタビューをしていく番組、
MIGHTY CROWN TV on YOUTUBE

今回の放送は、最新アルバムを発売したばかりのASSASSIN aka Agent Sascoへ
インタビューパート1を公開!彼のバックグランドから楽曲の事など
サミーTによるレアなインタビュー

ぜひお見逃し無く!

Welcome to mIghty Crown TV We got Assassin aka Agent Sasco
Today for the interview

S-(Sami)
A- (Assasin aka Agent Sasco)

S-
今回はAssasin aka Agent Sascoを捕まえました。
インタビューを受けて頂きありがとうございます。
それでは早速基本的な質問から始めて
最新アルバム、"Theory of Reggaetivity"
ついても聞いていきたいと思います。

S-まずは基本的な質問で出身地やどこで生まれて育ったのか教えてください。

A- 俺はクロスロードのNuttall 病院で生まれて、
  パピーンとケンタイヤってエリアで育ったんだ。

俺が生まれた後にうちの両親たちが別れて。
セントキャサリンって田舎のエリアのピーターディストリクトで
も育ったよ。うちの母親がケンタイヤで父親がセントキャサリンなんだ

ゆっくりとして落ち着いた環境で育ったんだ。それから俺がどうやって音楽にのめり込んだかと言うと
ケンタイヤでよくやってたサウンドシステムがあってそれを見に行ったりしたのがきっかけで
学校がオーガスタウンの近くにあってその辺だったらからHoopevalley camptown highschool  
でも音楽はいつでも俺のすぐ近くにあって、俺は4歳半ぐらいから歌ってたんだけど高校生なるとコミュニティーや

学校のコンサートで披露してたよ。高校の途中からキャリアに変わってったって感じかな。
   高校の時に同級生の一人にSpragga Benz紹介してもらってね。

S-そうやってアーティストとしてのキャリアに始まったんですね。
 どうやってAssasinって名前をつけたの?

A-高校の時だよ、机叩いてビート作ったりしながら、誰かとクラッシュ(バトル)して
 リリックでいつも倒しちゃうからその名前になっていくんだ。その前にいろんな
 名前があって、最初はビシャスって呼ばれてたんだけど既にその名前の
アーティストがいたんだ、 そんで その後はウィキッドだったんだけどそれも既に
その名のアーティストがいたから、その後はブルーナイキって呼ばれてたよ。
よくそれに関連した白いt-シャツを着てたから。その後にアサシンになったって感じ
俺はリリックで相手を倒しまくってたからね。

S-その後にどうやって今のa.k.a "Agent Sascoになったんですか?

A-  Agentの部分だけど、2006年にその名前で動いていくんだけど、
2005年って年は俺にとって辛い年で。父親になった年であり、母親を亡くした年でもあり、
俺のデビューアルバムを出した年でもあるし、その時はまだ23で、人生の辛さに直面した年なんだ。
当時はプレイズ(髪型)だったんだけど坊主にして何らかの形でそれを乗り越えようとしてたんだろうね、
だから2006年になってモチベーションを上げるためにつけたAgent006でやったんだ。
2007年が来てAgent007だとジェイムスボンドになってしまうから
Agent00にしたんだ、永遠のagentみたくね。

それでそれに続くSascoの部分は、元々はAssassin"の略で呼ばれたりしていて、それ以外にも Jah Assassin, Sasco , Jah Sas, Sassin,

色々な愛称があったんだけどその中のSascoとAgentを合体させてAgent Sascoなんだ

Assassinって言葉を調べるとChinese Assassinとか、Assassin creed , Assassinの映画とか
色々出てきちゃうんだ、だから Agent Sascoがメインな感じで行こうってね。
それでその後911の事件の後、世界が色んなことに対して神経質になっちゃって、
テロ行為とか、殺し屋とか、だからAssassinだけなのは人によっては嫌悪感とかもでてきちゃうのかなって思って。

でもAssassinって名前と決別したわけではなくて、未だにとても使える時があるからリリックでサウンドをぶっ殺す時とかね

S- 血の繋がった兄弟っていますか?

A-兄弟はいるよ。3人が男で5人女。兄貴の一人がしばらくマネージャーやってたりもう一人の兄貴は俺とBoardhouseってレーベルを一緒に立ち上げたんだ。
 あとNyにデザイナーやってる兄弟がいるよ。franCivaってトライアングルを逆にしたような
 ロゴのデザインがあるんだけどそれのデザイナー。
 もう一人ポールって兄弟がいるけどブラックリバーの方でトラックの運転手やってるよ。

あとの姉ちゃんだけどロンドンに住んでるのもいれば、ジャマイカにもいるし、とにかくでかい家族だよ。

S-この音楽で影響を受けた人を教えて下さい

A- 1982年に生まれて4歳半からやりだして、1986年頃からだからProfessor Nutsとか
 Papa sanがとても印象的だね。Papa Sanが一番影響力が大きい一人で
なぜなら彼のライムは永遠に続きそうでそれでいて、リアリティーあって只々天才だと思う
ああいう風にリリックの構成を持っていってしまうからすごいよね。すごい文化のつまったリリックというか未だに影響をうけてるし

それにYouTubeでPapa Sanって探ってみてもバイブスを感じるよ。

Professor Nuts ,Papa San, LT Stichie, とかとても影響うけたし、アーティストだけでなく
アートの形というのを意識したらBaby Wayneとか 俺の一番のアーティストではないけど彼の作品とか、
素晴らしいと思うし、Tippa Lee & Rappa - "Nuh trouble we, do nuh Trouble we" とか 
当時をリアルタイムに経験はしてないけど、Major Worriesの今までの作品等、リサーチしたし勉強したよ。
あとはもうちょっと後の世代でいえばBuju , Bounty Killa ,Spragga benz, 高校になった頃には
アーティストではないけどDave Kellyとかね。彼のやってたMad Houseは熱かったね~。
プロダクションもすごいし、作曲の能力も素晴らしかったね。
まぁ考えてみると今言った人たちもいるけど、俺は単純にレゲエとダンスホールのファンだからね
その人というよりは彼らのアートフォームがとても好きなんだ。
マンゴマンが曲を作っていい曲ができたとして、俺は彼の歌が好きでそれがあってマンゴマンのファンになるってことなんだ。


S- 何がきっかけで音楽を仕事にしようと思ったんですか?これで飯を食っていくぞ!ってなったきっかけは?

A-さっきも言ったけど、4歳半くらいから始めて、一日の時間の中で何時間も音楽のことを考えて

リリック作って曲を作ることばかり考えて、音楽が人生の一部になってたんだよ。

S-それは高校のときにじゃなく?

A-小さい時からだよ、ただその頃が大好きすぎてずーとDeejayになることを夢みてたから。 
まだ本格的というよりか夢に向かってたというか、
幼い頃だから先輩たちみたいに上手くいかないと思ってたんだ。
ただひたすら練習して、好きすぎて歌ってたら高校になって上手くなってきて、
それで高校の時に
 

そんで ジャマイカでは 5年高校に行くんだけど通常が3年でその後2年はオプションで選んでいいんだけど
その後に6フォームと言ってさらに卒業の後にいく一年があるだけど俺はそれで Mass communication って科目を
ならうんだけど、音楽となん等かの形で関わりたいから
その頃 Spragga Benzの友達のBriggyっていたんだ。 俺が学校まだ行ってる間に彼は学校を卒業してて
音楽をやろうとしてたんだ。この頃は6フォームを終わらせ、卒業後に大学に行ってって俺はそれで Mass communication って科目を
習うんだけど、音楽となん等かの形で関わりたいから,パフォーマーというより 裏方でもなんでも
それで、Briggy にたまに学校に招いて、 俺が作った曲があるんだけどそれを彼に使っていいよって。彼が音楽を推薦してたから。

それでそのうちの一曲を 彼がSpraggaにわたして、それが歌になったわけ。

S-ってことはSpragga が あなたのリリックを歌ってたってわけ?

A- そう Steelie&Cleevieの作ったStreet Sweeper のSpragga
    Big up all the shotta dem, allow di waste matter then、あれは俺が書いた部分なんだ。


それでその頃いつものようにラジオつけてCollin Hinds(当時有名なラジオDJ)
その頃は毎週土曜日録音してたから ラジオを録音して、そんでそのstreet sweeper riddim の

Spraggaがかかってて、その時にCollin Hindsがこの曲は良い、リリックがきてるね
などとにかくBig upしてくれて、それでそん時に思ったんだよCollin Hindsみたいな
ビッグなDjがそう言うんだったらこれは行けるかもと可能性を感じたんだよ。
それで 音楽業界の中での自分に問いかける質問なんだけど❔
果たしてこの大波の準備はできているのか?って言うのはみんな自分がいけてると
思ってやってるわけだから、でも本当に自分は行けてるのか?ってことなんだけど
Collin HIndsが良い曲っていうのとSpragga Benzみたいなアーティストが
その曲を歌うっていうのはいけてるって証明になったんだ。

13:10
そしてSpragga が 俺をpenthouseのスタジオに連れてってくれて
そこでDonovan Germain (BujuやBeres,他レゲエのヒットを出しまくってる
名門レーベル)を紹介してくれたんだ。他のプロデューサーも紹介してくれて
そうやって音楽を本格的にやるようになったんだ。

でもまだ一年 高校生活が残ってたから学校行きながらバイトみたいな
感じでスタジオとかに通ってたんだ。

S- 多分その頃だと思うんだけど始めて会ったのは?
  覚えてないと思うけど、その頃よくArrows スタジオに
溜まってて、よくカーテルと一緒にいたのを覚えてるよ。

A- そうDunkirk(ゲトー)が隣だったから、たむろしてたよよく。

S-
そうそん時始めて会って 俺の曲とれとか言ってて。(笑)
もちろん当時は当時の流れだから 今では良い思い出だけど
とにかくArrowsは賑わってたからね。

A-当時 学校がArrows スタジオの
隣にあったから 学校行きながらもスタジオでの流れも
見れたからね。 エレファントマンが当時スクーターに乗ってた時とか
全部みてきたから。

 PART2に続く